地鎮祭について
少し前になりますが、7月20日に此の度建て替えをすることになった高木邸(宮司宅)の地鎮祭を執り行いました。
せっかくの機会なので、地鎮祭とはどのように執り行うかということを記そうと思います。
ただし、地域差が大きいので日本全国この通りというわけではありませんのでご注意ください。
①修祓(しゅばつ)
祭典に臨むに当たりお祓いを致します。
これはどのような祭典やご祈祷においても同じことで、心身を清らかにして神様にお願い事をするわけです。
これより前に、手水を行ったり、家を出る前に身体を清めてきたりすると尚いいでしょう。
②降神(こうしん)
神籬(ひもろぎ=憑代のようなもの)に神様に降りてきて頂きます。
通常は祝詞は微音(小さい声)で奏上し、その最中に警蹕(けいひつ)といって「オー」という声を発します。
一人で奉仕する場合は便宜上、祝詞の奏上の後に警蹕をかける場合が多いようですが、無いのが本義です。
③祝詞奏上
工事の無事を土地神様にお祈り致します。
他の場合もそうですが、祝詞を奏上している間は参列者は頭を下げます。

④清祓(きよはらえ)
工事を行う土地を祓い清めます。
通常は北東の方角から順番に回ります。
大麻(おおぬさ)でお祓いしたのち、切幣(きりぬさ)でもお祓いを致します。

⑤地鎮の儀(じちんのぎ・とこしずめのぎ)
草を刈り、穴を掘り、地面を鳴らす所作をします。
また、「鎮め物」という土地を鎮めるための物を土中に埋めます。
本来は家の建設予定地の中心地に穴を掘り埋めていましたが、現在は盛り土を以て代用しています。
また、大相撲の土俵にも鎮め物はおさめられています。本場所の前の神事で埋められ、安全を祈られます。

鎌で草を刈り、鋤で穴を掘り、鎮め物を埋め、鍬でならします。
ちなみに写真には鋤で穴を掘るはありません。
⑥玉串奉奠(たまぐしほうてん)
玉串をお供えしてお参りをします。
施主→施工者の順番で行います。全員が行う場合もあれば、代表者のみ行う場合もあります。

⑦昇神の儀(しょうしんのぎ)
最初に降りてきて頂いた神様に神籬から元のところにお戻り頂きます。
降神の儀と同じく祝詞は微音(小さい声)で奏上し、その最中に警蹕をかけます。
⑧直会(なおらい)
神様にお供えをしたお神酒を皆で頂きます。
神様と同じものを頂くことにより、神様の力を体内に取り込み神人の同一をはかります。
お神酒だけとは限らず、お米やお塩、お水から野菜果物まで、「お供えした物」を頂くことに意義があります。
昨今はお参りをした後などの食事を直会等という風潮もありますが、それは間違いです。
上記にある通り、お供え物を頂いていれば直会となりますが、大抵はそうではありません。
以上が、地鎮祭の式次第となります。
初めに書きましたが、地域によっては鋤と鍬の順番が違ったりします。他にも私が知らない違いがたくさんあるかもしれませんが、地域の実情に合った形でのご奉仕が成されていることと思います。
あくまで、これは一例であると思って頂ければ幸いです。
最近では地鎮祭をしない場合が増えているそうですが、その土地を守っている神様への挨拶でもあります。
大工さんが無事に工事を終わることが出来ますようにという意味もありますので、地鎮祭をされることをおススメ致します。
玉串料や細かい所の打ち合わせ等はお気軽に神社さんにお問い合わせを頂ければと思います。
せっかくの機会なので、地鎮祭とはどのように執り行うかということを記そうと思います。
ただし、地域差が大きいので日本全国この通りというわけではありませんのでご注意ください。
①修祓(しゅばつ)
祭典に臨むに当たりお祓いを致します。
これはどのような祭典やご祈祷においても同じことで、心身を清らかにして神様にお願い事をするわけです。
これより前に、手水を行ったり、家を出る前に身体を清めてきたりすると尚いいでしょう。
②降神(こうしん)
神籬(ひもろぎ=憑代のようなもの)に神様に降りてきて頂きます。
通常は祝詞は微音(小さい声)で奏上し、その最中に警蹕(けいひつ)といって「オー」という声を発します。
一人で奉仕する場合は便宜上、祝詞の奏上の後に警蹕をかける場合が多いようですが、無いのが本義です。
③祝詞奏上
工事の無事を土地神様にお祈り致します。
他の場合もそうですが、祝詞を奏上している間は参列者は頭を下げます。

④清祓(きよはらえ)
工事を行う土地を祓い清めます。
通常は北東の方角から順番に回ります。
大麻(おおぬさ)でお祓いしたのち、切幣(きりぬさ)でもお祓いを致します。




⑤地鎮の儀(じちんのぎ・とこしずめのぎ)
草を刈り、穴を掘り、地面を鳴らす所作をします。
また、「鎮め物」という土地を鎮めるための物を土中に埋めます。
本来は家の建設予定地の中心地に穴を掘り埋めていましたが、現在は盛り土を以て代用しています。
また、大相撲の土俵にも鎮め物はおさめられています。本場所の前の神事で埋められ、安全を祈られます。



鎌で草を刈り、鋤で穴を掘り、鎮め物を埋め、鍬でならします。
ちなみに写真には鋤で穴を掘るはありません。
⑥玉串奉奠(たまぐしほうてん)
玉串をお供えしてお参りをします。
施主→施工者の順番で行います。全員が行う場合もあれば、代表者のみ行う場合もあります。

⑦昇神の儀(しょうしんのぎ)
最初に降りてきて頂いた神様に神籬から元のところにお戻り頂きます。
降神の儀と同じく祝詞は微音(小さい声)で奏上し、その最中に警蹕をかけます。
⑧直会(なおらい)
神様にお供えをしたお神酒を皆で頂きます。
神様と同じものを頂くことにより、神様の力を体内に取り込み神人の同一をはかります。
お神酒だけとは限らず、お米やお塩、お水から野菜果物まで、「お供えした物」を頂くことに意義があります。
昨今はお参りをした後などの食事を直会等という風潮もありますが、それは間違いです。
上記にある通り、お供え物を頂いていれば直会となりますが、大抵はそうではありません。
以上が、地鎮祭の式次第となります。
初めに書きましたが、地域によっては鋤と鍬の順番が違ったりします。他にも私が知らない違いがたくさんあるかもしれませんが、地域の実情に合った形でのご奉仕が成されていることと思います。
あくまで、これは一例であると思って頂ければ幸いです。
最近では地鎮祭をしない場合が増えているそうですが、その土地を守っている神様への挨拶でもあります。
大工さんが無事に工事を終わることが出来ますようにという意味もありますので、地鎮祭をされることをおススメ致します。
玉串料や細かい所の打ち合わせ等はお気軽に神社さんにお問い合わせを頂ければと思います。
平成25年度 大阪府神社庁第11支部 神宮大麻暦頒布始奉告祭
11月26日に大阪府神社庁の第11支部(大阪府下を12の支部に分かれていて、南河内地区は11支部となっています)において「神宮大麻暦頒布始奉告祭(じんぐうたいまれきはんぷはじめほうこくさい)」が行われました。
神宮大麻とは伊勢の神宮のお札のことです。
神社界ではお札のことを「大麻(たいま)」と呼びます。
伊勢の神宮の正式名称は神宮ですので、神宮の大麻=神宮大麻ということです。
神宮大麻は江戸時代に神宮の恩師(おんし)という人々の活躍の中で出てきます。
いわゆる「ええじゃないか」の時代です。
この神宮大麻は当たり前ですが、神宮で奉製されています。
そして、神宮から神社本庁を通じて各都道府県の神社庁に、そして神社庁から各支部、各支部から各神社へと伝えられていきます。
11月26日の祭儀は「各支部から各神社へ」のところになります。
このすべての段階において、大麻(大麻を通して神宮に)に対して神饌をささげ、祝詞を挙げています。

11支部は神職だけではなく総代の方も一緒に参列いたします。

また、神賑わい行事でもある御神楽も奉納いたします。神楽の奉納までしている所はそう多くはありません。
楽や舞の先生がおられる支部であるというのも大きいでしょうが、神様のためにということをしっかりと守っているとも言えると思います。

その後、斎主から神職の支部長へ、そして神職の支部長から総代会の支部長へと大麻を伝えてまいります。
これは神社から各家庭へという経過を表していると思われます。
見て頂くと分かりますが、総代会の支部長は当社壺井八幡宮の責任役員でもある松井氏でございます。
尚、この祭儀には大阪府神社庁長・大阪天満宮宮司寺井種伯様と、大阪府神社庁の神宮奉賛推進委員会委員長・神津神社宮司足立博史様にもご参列頂きまして、第2部の式典において有り難くお言葉を頂戴致しました。

その後、古事記研究家である小林晴明先生と宮崎みどり先生による「古事記ものがたり」についての講演がありました。
時間の関係上45分と短かったのですが、もっと聞きたいと思える内容でした。
始まる前には「我々は学者ではないし、普段一般の方を相手に話しているので専門家を前に話をすることは緊張する」と仰っていましたが、なかなかどうして。
実際に古事記の原文にあたって、「イザナギの神がイザナギの命へと変わったことの理由」であったり、「国生みの際の島が生まれた順番の秘密」といったことなどは、考えてもみなかったことでした。
そういった、自分では気付かない視点というものを気付かせて頂けるので、今後もこういった研修会にはジャンルを問わずに参加していきたいと思います。
ちなみに、前者の理由は国造りという「使命・命令」を帯びたところで変わります。祝詞にも「命持ちて」という一節が入ることがありますが、命(使命)を帯びたので、神から命へと変わられたということです。
後者は、鳴門の渦潮を中心に同心円を書いていくと、国が生まれた順番に各々の島が円の中に含まれていきます。
イザナギ・イザナミは天のヌボコを以て、海をかき混ぜると島が出来・・と始まります。
その混ざっているところは今なお、コオロコオロと渦を巻いているということです。
報告書ではないのでこの辺りにします。
研修会の後は懇親会です。

ここでも、総代会の支部長である松井氏が乾杯の音頭を取るために壇上へ。
当社の責任役員さんは大活躍です。
懇親会中に先生と1枚写真を撮らせて頂きました。

お話をさせて頂きますと、なんと隣の地区にお住まいでした。
なんと世間は狭いものでしょうか。
そういえば、先日アップいたしました、バリ舞踊の先生に心斎橋の東急ハンズで目撃されておりました。
その時は、真面目な本を探しに行っていた時でしたので大丈夫。
おお、こわいこわい。
神宮大麻とは伊勢の神宮のお札のことです。
神社界ではお札のことを「大麻(たいま)」と呼びます。
伊勢の神宮の正式名称は神宮ですので、神宮の大麻=神宮大麻ということです。
神宮大麻は江戸時代に神宮の恩師(おんし)という人々の活躍の中で出てきます。
いわゆる「ええじゃないか」の時代です。
この神宮大麻は当たり前ですが、神宮で奉製されています。
そして、神宮から神社本庁を通じて各都道府県の神社庁に、そして神社庁から各支部、各支部から各神社へと伝えられていきます。
11月26日の祭儀は「各支部から各神社へ」のところになります。
このすべての段階において、大麻(大麻を通して神宮に)に対して神饌をささげ、祝詞を挙げています。

11支部は神職だけではなく総代の方も一緒に参列いたします。

また、神賑わい行事でもある御神楽も奉納いたします。神楽の奉納までしている所はそう多くはありません。
楽や舞の先生がおられる支部であるというのも大きいでしょうが、神様のためにということをしっかりと守っているとも言えると思います。

その後、斎主から神職の支部長へ、そして神職の支部長から総代会の支部長へと大麻を伝えてまいります。
これは神社から各家庭へという経過を表していると思われます。
見て頂くと分かりますが、総代会の支部長は当社壺井八幡宮の責任役員でもある松井氏でございます。
尚、この祭儀には大阪府神社庁長・大阪天満宮宮司寺井種伯様と、大阪府神社庁の神宮奉賛推進委員会委員長・神津神社宮司足立博史様にもご参列頂きまして、第2部の式典において有り難くお言葉を頂戴致しました。

その後、古事記研究家である小林晴明先生と宮崎みどり先生による「古事記ものがたり」についての講演がありました。
時間の関係上45分と短かったのですが、もっと聞きたいと思える内容でした。
始まる前には「我々は学者ではないし、普段一般の方を相手に話しているので専門家を前に話をすることは緊張する」と仰っていましたが、なかなかどうして。
実際に古事記の原文にあたって、「イザナギの神がイザナギの命へと変わったことの理由」であったり、「国生みの際の島が生まれた順番の秘密」といったことなどは、考えてもみなかったことでした。
そういった、自分では気付かない視点というものを気付かせて頂けるので、今後もこういった研修会にはジャンルを問わずに参加していきたいと思います。
ちなみに、前者の理由は国造りという「使命・命令」を帯びたところで変わります。祝詞にも「命持ちて」という一節が入ることがありますが、命(使命)を帯びたので、神から命へと変わられたということです。
後者は、鳴門の渦潮を中心に同心円を書いていくと、国が生まれた順番に各々の島が円の中に含まれていきます。
イザナギ・イザナミは天のヌボコを以て、海をかき混ぜると島が出来・・と始まります。
その混ざっているところは今なお、コオロコオロと渦を巻いているということです。
報告書ではないのでこの辺りにします。
研修会の後は懇親会です。

ここでも、総代会の支部長である松井氏が乾杯の音頭を取るために壇上へ。
当社の責任役員さんは大活躍です。
懇親会中に先生と1枚写真を撮らせて頂きました。

お話をさせて頂きますと、なんと隣の地区にお住まいでした。
なんと世間は狭いものでしょうか。
そういえば、先日アップいたしました、バリ舞踊の先生に心斎橋の東急ハンズで目撃されておりました。
その時は、真面目な本を探しに行っていた時でしたので大丈夫。
おお、こわいこわい。
第62回 神宮式年遷宮 御白石持行事
8月8~9日と、神宮(通称伊勢神宮)の御白石持行事に特別神領民の一人として参加してきました。
20年に1度しか参加できない行事とあって、申込みの段階から多くの人が殺到いたしました。幸いにも私は神社庁の職員として、引率の傍ら参加させて頂く機会に恵まれました。有り難いことです。
さて、大阪府神社庁といたしましては、3回に分けて奉献団が結成されました。
私が参加した8月8~9日は第2団となります。
バスを6台に分けて、総勢200名の大所帯でした。
さて、初日ですがバスは一路浜参宮のために二見興玉神社を目指します。古来神宮に参拝・奉仕をするものは二見の海で禊を行い、身を清めたとの言い伝えがあります。現在は禊の代わりにお祓いを受けるわけですが、御木曳行事や御白石持行事に参加する者は例外なくこの浜参宮を行う必要があります。

お祓いの様子ですが、祓串が特殊な形をしているのが分かると思います。
初日に浜参宮を終えた我々は宿泊場所である鳥羽グランドホテルにて英気を養い、翌日の伊勢に向かいました。
気温は36度の予想で、引率としては熱中症が少々心配ではありました。
運よく、結団式の場所に地元の神領民に方々がひく奉曳車がありました。

我々が引くものも同じような形をしておりましたが、各町会によって形が違うのも面白いと思います。
さて、この奉曳車ですが、2000人で1台を曳くことになります。
ともすれば、大混乱に陥ることもある大所帯ですが、さすがは手慣れたものでサクサクと整理されていきます。
そしていよいよ出発です。

「エンヤ!エンヤ!」の掛け声で少しずつ曳いていきます。
おはらい町を曳ききり、宇治橋に着いた時点で曳くことが終わります。
ちなみに、曳くロープは約250メートルあるそうです。
宇治橋を渡り、特設された手水で手を清め、御白石を受け取ります。
そして、新宮へと進みます。
さて、その新宮ですが当然遷御の儀が終わっていません(終わっていたら入れません)ので神様はそこにはおられません。しかしながら、最後の垣をくぐるころには、暑さも忘れ、鳥肌も立っていました。
御正宮の新宮は言葉で言い表すことが出来ない美しさでした。
装飾は擬宝珠が数個あるだけで、あとは白木の唯一神明造です。ただそれだけなのですが、それ以外の全てが不要と思える完成された美しさでした。
その後、宇治橋を渡り、記念撮影を行い、記念品を頂き帰ってきたわけですが、一生に一度しか経験できないかもしれないことを、じっくりと経験させて頂けたご神縁には感謝の極みです。
日本人として、参加できたことは一生の財産となるでしょう。
また、20年後、40年後は分かりませんが、出来る限りご奉仕させて頂きたく思ったしだいです。
皆さんも機会を作ってでも、新しい御正宮を遠目でもお参りに行かれるとよろしいと思います。
新旧の御正宮が並び立つのは今しかありません。
この機会を逃しますと次は20年後です。
20年に1度しか参加できない行事とあって、申込みの段階から多くの人が殺到いたしました。幸いにも私は神社庁の職員として、引率の傍ら参加させて頂く機会に恵まれました。有り難いことです。
さて、大阪府神社庁といたしましては、3回に分けて奉献団が結成されました。
私が参加した8月8~9日は第2団となります。
バスを6台に分けて、総勢200名の大所帯でした。
さて、初日ですがバスは一路浜参宮のために二見興玉神社を目指します。古来神宮に参拝・奉仕をするものは二見の海で禊を行い、身を清めたとの言い伝えがあります。現在は禊の代わりにお祓いを受けるわけですが、御木曳行事や御白石持行事に参加する者は例外なくこの浜参宮を行う必要があります。

お祓いの様子ですが、祓串が特殊な形をしているのが分かると思います。
初日に浜参宮を終えた我々は宿泊場所である鳥羽グランドホテルにて英気を養い、翌日の伊勢に向かいました。
気温は36度の予想で、引率としては熱中症が少々心配ではありました。
運よく、結団式の場所に地元の神領民に方々がひく奉曳車がありました。

我々が引くものも同じような形をしておりましたが、各町会によって形が違うのも面白いと思います。
さて、この奉曳車ですが、2000人で1台を曳くことになります。
ともすれば、大混乱に陥ることもある大所帯ですが、さすがは手慣れたものでサクサクと整理されていきます。
そしていよいよ出発です。

「エンヤ!エンヤ!」の掛け声で少しずつ曳いていきます。
おはらい町を曳ききり、宇治橋に着いた時点で曳くことが終わります。
ちなみに、曳くロープは約250メートルあるそうです。
宇治橋を渡り、特設された手水で手を清め、御白石を受け取ります。
そして、新宮へと進みます。
さて、その新宮ですが当然遷御の儀が終わっていません(終わっていたら入れません)ので神様はそこにはおられません。しかしながら、最後の垣をくぐるころには、暑さも忘れ、鳥肌も立っていました。
御正宮の新宮は言葉で言い表すことが出来ない美しさでした。
装飾は擬宝珠が数個あるだけで、あとは白木の唯一神明造です。ただそれだけなのですが、それ以外の全てが不要と思える完成された美しさでした。
その後、宇治橋を渡り、記念撮影を行い、記念品を頂き帰ってきたわけですが、一生に一度しか経験できないかもしれないことを、じっくりと経験させて頂けたご神縁には感謝の極みです。
日本人として、参加できたことは一生の財産となるでしょう。
また、20年後、40年後は分かりませんが、出来る限りご奉仕させて頂きたく思ったしだいです。
皆さんも機会を作ってでも、新しい御正宮を遠目でもお参りに行かれるとよろしいと思います。
新旧の御正宮が並び立つのは今しかありません。
この機会を逃しますと次は20年後です。
初詣に行く順
あけましておめでとうございます。
平成24年もよろしくお願いいたします。
さて、実は初詣に行く神社を選ぶ際には「このようにすべき」という順番があります。
順番と言うよりは、最初にお参りすべき神社です。
結論から言いますと、
最初にお参りする神社は、住んでいる地域の氏神様です。
「いつも自分たちをお守りいただいてありがとうございました。」
という感謝の気持ちを忘れずに伝えましょう。他の神社に行くのはその後です。
決して、有名な神社やいつも行っている神社が一番ではないことに注意しましょう。
ちなみに、「氏神様=一番近い神社ではない」ことにも注意しましょう。
平成24年もよろしくお願いいたします。
さて、実は初詣に行く神社を選ぶ際には「このようにすべき」という順番があります。
順番と言うよりは、最初にお参りすべき神社です。
結論から言いますと、
最初にお参りする神社は、住んでいる地域の氏神様です。
「いつも自分たちをお守りいただいてありがとうございました。」
という感謝の気持ちを忘れずに伝えましょう。他の神社に行くのはその後です。
決して、有名な神社やいつも行っている神社が一番ではないことに注意しましょう。
ちなみに、「氏神様=一番近い神社ではない」ことにも注意しましょう。