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教育を考

今日は浪速高校の校長先生が書かれている校長日記の一文を考察してみようと思います。

-以下部分抜粋-

・ 歴史は「自分よりも前の時代の人がどういう社会を築いて来たのか」、その「成功と失敗」も含め、それを次の世代に繋いでいくことを教える教科である。ところが日本の歴史教科書には日本の偉人は出てこない。「歴史上大事な人のことを学ばなくて」歴史を学んだとは言えないのではないか。
・ 遣唐使を廃止し「国風文化」が起きるきっかけを作った「菅原道真」や農村復興政策の指導者「二宮尊徳」などの時代の革命家などは我々の時代にはまず絶対的に学ぶ対象であったが今や教科書からは姿を消している。
・ 小学校の学習指導要領で特に取り上げる人物とされている日露戦争の連合艦隊司令長官の「東郷平八郎」も中学校では姿を消している。
・ 「聖徳太子」に関する記述もたったの数行であり、「柿本人麻呂や勝海舟」などは多くの教科書に記載がないのである。日本と言う国に生まれてきたわけであるからその「国の伝統と文化の中で育まれた規範やルール、マナー」を系統立ててきちんと教えていくことは家庭では無理である。この部分こそ「学校教育しか担えない部分」ではないか。今の中学生、高校生は余りにも我が国の歴史を知らない。全く悲しいことである。
・ どうも戦後教育は「根無し草」「無国籍」の教育であったような気がする。生徒たちは市町村という地域に住み日本という国に生きる国民である。多くの公民教科書は「国民とは」「「国家とは」はどういうものかに触れずに一足飛びに「地球に住む地球人」とか強調されているがまず「自国の理解が先」ではないのか。
・ 平成18年12月「教育基本法が60年ぶりに改正」され新しい理念が条文化された。第2条には「豊かな情操と道徳心」「公共の精神」「生命を尊び」「伝統と文化を尊重」「我が国と郷土を愛する」が明記された。

-以上 抜粋終わり-

我々のころには必ずあった名前がどんどんなくなってきているという、驚くべき実態です。
しかし、自分自身の学校教育を振り返ると、確かに無国籍教育であったと感じるところは多々あります。
国旗国歌を敬い、日本を好きになるような教育などほとんどなかったし、愛国心を持つことが恥ずかしいことだと思えるような教育であったと思います。神道の道に入らなければ、おそらく今もまだこのように思っていたかもしれません。
しかし、このような教育方針を少しでも良くしようとしてくれたのが安倍晋三元首相でした。教育基本法の改正もこの方がやって下さいました。まだまだ不十分とは感じますが、大きな第一歩であったと思います。
まあ、このことはマスコミから大不評だったようですが、なんででしょうね???
しかも、マスコミの大好きなフレーズである「他の国々では…」というのは使いませんよね。まあ、使えないので当然ですが。他の国々は愛国心に満ちて、自分の国を愛するように教育するのが当たり前ですからね。もちろん支那や朝鮮も同じです。
国旗国歌の扱いも同じです。自国の国旗国歌を敬おうとしないのは日本だけでしょう。恥ずかしいですね。
あと、そういう活動をする売国の族は陛下の「国旗国歌を強制すべきではない」というお言葉を用いてますが、このお言葉の真意を全く分かっていない!このお言葉は「国旗国歌は上から強制で押し付けるものではなく、皆が国旗国歌を自然と敬うのが良い」という意味です。
全くその通りです。国旗国歌は強制するものではなく、国民一人一人が無意識でも自らの意志でもよいのですが、敬うのが当たり前なのです。


~コメント返信~

>>かずとりひも さん

むかしなんかの記事で、
全国的、地域的に有名大学の卒業生の「いい大学を…」 → 謙遜
普通の大学の卒業生の「いい大学を…」           → 負け惜しみ
下の方の大学の卒業生や中卒、高卒の「いい大学を…」 → 妬み・僻み
 
というのを読んで、妙に納得した記憶があります。
昨日、今日の浪速高校の校長先生のブログに書いてあることも、ある程度下地になっているのではないかと思います。
 

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

コメント

No title

今回の中学用教科書で、日本史の教科書に菅原道真公が採り上げられているのは扶桑社しかないのです。
杉並区のように扶桑社の教科書を採択するように強く望みたいですね。

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