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戰歿學徒追悼祭

 今年も10月21日に、午前11時より兵庫県南あわじ市にある「若人の広場」において、第18回戰歿學徒追悼祭が斎行されました。斎主は神道青年近畿地区連絡協議会の飯森副会長が務められ、近畿2府4県より12名の青年神職が中心となって御奉仕申し上げました。私も祭員として御奉仕させて頂きました。
 この追悼祭は一般の神社の祭典や様々な団体の慰霊祭と大きく違う点があります。それは、様々な宗教団体が一堂に会し、しかも国会議員や知事、市長、議員といった政治家も多く集まり、皆で一つの祭典を創り上げているという所です。しかも、ただ単に一緒の場所に集まっているのではなく、一つの追悼祭という流れの中で、各々の方法(神道は祝詞、仏教はお経、キリスト教は讃美歌、政治家は追悼文、自衛隊は喇叭の吹奏)で、約20万人の英霊の方々に追悼の意を表します。この取り組みは、他の団体の慰霊祭や英霊顕彰においても、是非とも参考にして頂きたい点です。
 ところが、戰歿學徒の顕彰施設や慰霊碑は長年の風雨や阪神淡路大震災により甚大なる被害を受け、今この時も少しずつ朽ちていっています。顕彰施設は地元では有名な心霊スポットとなり、心無い者達による破壊活動も止まらないそうです。しかしながら、一昨年に南あわじ市が若人の広場を取得してからは、少しずつながらも施設の保存整備事業を進めるだけでなく、広報活動も行っているようです。
 我々は祭典奉仕等を通じ、大東亜戦争において祖国の礎になられた學徒20万人の英霊達に感謝の誠を捧げながら、全国で唯一でありながら、あまりにも無名である「若人の広場」の存在を日本全国に知らしめていくことが、戰歿學徒の英霊達に応えることができる道なのではないでしょうか。

【戰歿學徒追悼碑と若人の広場について】
 この追悼碑は、戰歿學徒を追悼する為に、昭和42年10月9日に秩父宮妃殿下台臨の下、竣工祭が盛大に執り行われました。設計は故丹下健三氏によるもので展示資料館を併設し慰霊塔では「ともしび」が燃え続けていました。
 以来施設は順調に運営をされてきましたが、平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災により施設全体に大きな被害があり閉館となりました。
 荒廃した状況を憂い「全國戰歿學徒を追悼する會」を組織し、同年有志らにより12月8日の開戦記念日を選び慰霊祭を行いました。終戦60周年からは兵庫県神道青年会により毎年慰霊祭が斎行されてきました。平成22年5月に南あわじ市が若人の広場を財団より取得し、本格的な施設整備や「ともしび」の再点火が検討されています。

テーマ : 宗教・信仰 - ジャンル : 学問・文化・芸術

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