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源頼信公 年祭

本日は当宮ご祭神の一柱でもある源頼信公のお亡くなりになられた日です。
したがって、当宮ではお祭りを行いご遺徳を偲び、感謝の意を捧げました。



源頼信公は、平安時代中期の武将で、摂津国多田(現・兵庫県川西市多田)の地に源氏武士団を形成した源満仲の三男。
河内国石川郡壺井(現・大阪府羽曳野市壺井)を本拠地とする河内源氏の祖となった。

兄・頼光と同じく摂政関白の藤原道兼に、道兼の死後は藤原道長に仕え、諸国の受領や鎮守府将軍などを歴任。河内国に土着して石川郡に壺井荘を拓き、香炉峰の館を建てる。

甲斐守在任時に平忠常の乱を平定し、その後の河内源氏の東国進出の第一歩を記す。武勇に優れ、平維衡・平致頼・藤原保昌らと藤原道長の四天王、或いは四天王と称された。
それまで四年間、平直方と争っていた忠常があっさり降伏したのは、それ以前に頼信との間で主従関係になっていたためと思われる。
この乱の後、坂東の武士たちは河内源氏と主従関係を結ぶようになり、後の東国支配と武家源氏の主流となる礎を築いた。

墓は、大阪府羽曳野市の河内源氏の菩提寺の通法寺跡に、頼義、義家と共にある。



テーマ : 宗教 - ジャンル : 学問・文化・芸術

コメント

No title

先日は墓所をご案内いただきありがとうございました。
源頼信は永承3年4月17日に没したと他のページに書かれてますが、こちらでは9月1日に没したとする何かがあるのですか?

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